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文学者、森一郎

 前回のつづきです。では、森一郎は、どのような人物だったのか?

 まず、産経新聞に連載され、そののち単行本となった『新ライバル物語』の1巻目に、「大学受験のロングセラー デル単vs豆単」という記事がある(注1) 。この記事の冒頭に、森一郎が鳩山由紀夫の家庭教師をやっていたことが語られる。鳩山由紀夫は、都立の小石川高校だから森の評判を聞いた鳩山威一郎(当時は大蔵官僚)が習わせにいかせたのだろう。家庭教師といっても、由紀夫の方が森家に出向くという形である。これは、どうみても、鳩山家の方から森に、無理にお願いしている感じである。由紀夫は1947年生まれなので63年か64年のころということになるだろうか。このころ、すでに入試に必要な800語をプリントにして配布していたようである。『試験に出る英語』を世に出すのは、青春出版社の岩瀬順三であるが、岩瀬はのちにKKベストセラーズをたちあげる辣腕編集者だった。

 幸いネットに武内清という学者の「森一郎先生のこと」という文章が見つかった(注2)。日比谷高校の二年生のときの担任だったそうで(1961年)、温厚、繊細、文学肌の当時の日比谷の学風にぴったりとあった先生だった。森の受け持ちのクラスはラグビー部員が10人もいて、授業中騒いだりしたようだが、森先生は気が弱いところがあって、生徒を叱りつけたりできなかったようである。このへんは、『試験出でる英単語』の文章から受けるイメージと異なるかもしれない。内田樹も森一郎の授業を受けたそうで、内田の印象は受験指導に特化した森は教員の間で孤立したようだと述べているらしい。また、国際法の石黒一憲も、日比谷高校での森の教え子である。石黒は、『試験出る英単語』と『試験に出る英語』を不朽の名著と絶賛し、森の授業をうけ、真の学問とはなにかにめざめたと述べている(注3)。まこと、偏見のない意見というのは、すがすがしい。

 現在の奈良女子大学付属中等教育学校の教員をしていた森が、上京するのは1955年で、日比谷高校の教員となる。しかし、日比谷での授業は受験と無縁なようにみえるので、察するに、当時のトップクラスの都立の教員は、予備校で掛け持ち授業をおこなっていたはずで、森もおそらく放課後、予備校で教えていたのではないだろうか。そこで多くの苦しむ生徒に出会い、これはなんとかしなければいかんと考えたのだろう。そう考えないと、この本を創る原動力が見えてこない。さきの鳩山威一郎は日比谷の卒業生ではないので、森の評判は赴任後十年たたないうちに、高級官僚の耳にも届いていたということになる。

 森は1969年に日比谷高校をやめ、関西学院大に迎えられる。やめた理由は、67年に導入された学校群制度だったようだ。学校群制度とは、1967年から81年まで都立高に導入された入試制度である。日比谷高校や小石川高校など旧制中学が前身の都立高は、毎年大量の東大合格者をだしていたが、これを問題視した東京都が、大胆な入試改革をおこなった。都立高校間の学力格差をなくすために、2つから3つの高校をひとつのグループとし、中学生はそのグループを受験する。合格したら、そのグループに属するどれかの学校に進学する。成績によって振り分けるので、受験生は学校を選べない。具体的には、日比谷高校は、九段高校と三田高校と組んで11群と称され、日比谷高校の入学者の学力は大幅に低下した。東大合格者も百人レベルから一桁まで落ち込んだはずである。

 関西に帰った森は文学の世界に戻る。もともと、詩や俳句を愛する文学青年だった。1950年ごろに詩集『ふるさと』を刊行、同時期、T.S.エリオットの『荒地』の翻訳を雑誌『望郷』か『詩豹』に発表している。俳句は昭和二十年代に少々やっていた。句会に参加をはじめる昭和五十年代から本格的に創作をはじめ、さらに実力を認められ、1990年句集『土蛙』(本阿弥書店)を刊行している(注3)。

「団扇もてさえぎるヘッドライトかな」「このたびも宇陀の大白雨に遭う」「土蛙自分の声で鳴いている」等々、奈良の農村の穏やかな生活をスナップ写真を撮るように切り取ってみせ、なつかしい気分に誘うような句が並んでいる。

 さきにあげた『新ライバル物語』によると、1979年に共通一次、1990年からセンター入試へと大学入試の制度が変わり、まずは一次試験にあたる現在の共通テスト対策が求められる。英語入試問題も、知的で抽象的な文章から、身近なものを題材にしたものに変わってくる。そこで、豆単の旺文社は、コンピュータを駆使して入試英単語分析をし、『ターゲット1900』を刊行、1994年についに、『試験に出る英単語』を売り上げで抜く。2003年の段階で、ターゲットが45万部、デル単が11万部となっている。森一郎が亡くなるのは1991年だが、一般向けの英語の入門書の企画ももっていたようだ。実現していたら、特大の第2号になっていただろうか?いや、なっていたような気がする。

 次回は『タテ社会の人間関係』(中根千枝)を考えています。

 

(注1)『新ライバル物語』1巻(産経新聞特集部編 柏書房 2004年)p.67~90 この記事には、青春出版が、森を他社からの引き抜きからまもるべく、毎年、森一家を海外旅行に接待したことや、岩瀬順三が没後、岩瀬のポートレートを書斎に飾り、人生最大の恩人だったと家族に語ったというエピソードなどが述べられている。

(注2)武内清(教育社会学)研究室 www.takeutikiyosi.com 「森一郎先生のこと」2021年10月27日 (2026年8月9日閲覧)

(注3)『句集土蛙』の序文を前登志夫が、跋文を石黒一憲が書いている。石黒も俳句をつくっている。

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この記事を書いた人

今年70歳になります。ようやく、読書中心の生活に入れます。まずは、日本のロングセラーを読破します。3000冊はあくまで目安です。

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